#1 なにもかもやめたら楽になれた話 きっかけ編<部活>

「豆腐メンタルな自分が嫌い」

「自分は常にトップにいなければならない」

「周りが期待している自分でいたい」

「強くなりたい」

「どうして自分はあの人になれないのか」

これらは私を長い間拘束して、苦しめてきた考え方たちです。

 

でも、今はかなり楽に生きることが出来ています。

 

私は、私の様に苦しんでいる人を助けたいとか、そんなことを思ってこれを書いているわけではありません。私の不幸語りをしたいわけでも、悲劇のヒロインになりたいわけでもありません。

が、ちょっとでも誰かに何かに、私のこの経験を伝えたいと思います。

 

 

 

私が楽に生きられるようになったきっかけ。

それは「やめた」からです。

 

具体的に何をやめたのか。

部活、リーダー、勉強、期待に応えること、続けることです。

 

すべてのきっかけは、高校一年生で部活をやめたことでした。

 

私は、9歳の時からバレーボール部に入り、すべてがバレーに包まれた生き方をする、しようと考えていました。周りにも、「私はバレーを続ける。みんなが辞めても、私だけは、バレーを続けるから。」そう伝えていました。

 

でも、高校に入ってバレー部の集まりに出たとき、なんだかわからない違和感がありました。「なんとなく違う。私はここにいるべきではないかも。」そんな風に心のどこかで、頭の中の隅っこで思っていたのを覚えています。

そんな風に思っていたにもかかわらず、そのまま入部して、すべての備品も買い、夏休みの辛い練習にもすべて参加しました。

 

ですが結局、12月には身体も精神も壊して、バレーボール自体は好きなのにバレー部にいること自体がしんどくなって、やめる決断をしました。

先生にもどうしてやめるのか、やめないで休部にするのはどうか、と長い間話し合いをしました。ですが、どうしてやめるのかわからない、何が私を壊しているのか、それすらもわからない状況で、答えることもできませんでした。(今考えるとバレーを続けていたのも周りの期待に応えたい割合が大きかったからかも?)

 

私自身、一度やったことは最後までやるべき、やめるのはクズがすることだと考えていた節もありました。最低ですね、、、

この考えだったのもあって、やめるときに、人生で一番のエネルギーを使ったと今では思います。

 

その時は後悔が大きくありましたが、

今では「ああ、正解だったなあ。」と何度も何度も感じています。

 

もちろん部活を続けた人にしか得られないものもあるのも理解しているし、それが私にないことはディスアドバンテージの一つになるかもしれませんが、

そんな過去すらも愛せるような人生を送りたい。

この経験をしたからこそできることを創って広めていきたい。

やめることは悪いことばかりじゃないんだよと知ってほしい。

そんな風に思います。

 

これから、どこまで続くかわかりませんが、私の考え方を伝えられるように

のんびりと書いていこうと思います。見守っていただけたら幸いです。

 

#2のタイトルどうしようかな、、、